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Tatsunoko, an auberge or ‘pension’ nestles on the slopes of Mount Kurohine, In English ‘tatunoko’ can be translated as ‘sea horse’ but the neme literally means ‘dragon child’ The mountain is the home of a black dragon in love with a beautiful princess. This is an area of vivid seasons, rich with legends and history.There are magnificent vistas of mountains whose peaks glisten with snow right in to June. Sky slope are a few minutes drive away.
From the time the snow begins to melt, right on through late summer, delicious wild mountain vegetables are served, and if want to swim, canoe or sail, Lake Nojiri is close. Autumn brings many species of wind mushrooms. Carefully selected meat and vegetables are local, with fish fresh from The Japan Sea. In season, if you like, wild duck, pheasant or venison.
The water, chilled by ancient springs, comes straight from the tap and is better than any you’ll buy in a bottle. Cocktails, excellent wine or beer in the living room? Help yourself!
Tatsunoko has been a second home for me, ever since I first came here some thirty years ago.I couldn’t wish for better friendship, food and hospitality.
英国南ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、その後、カナダ水産調査局北極生物研究所の技官として、海洋哺乳類の調査研究に当たる。
以降、北極地域への調査探検は12回を数える。
1967年より2年間、エチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官に就任。シミエン山岳国立公園を創設し、公園長を務める。
1972年よりカナダ水産調査局淡水研究所の主任技官、また環境保護局の環境問題緊急対策官として、石油、化学薬品の流出事故などの処理に当たる。
1962年に空手の修行のため初来日。
1980年、長野県に居を定め、執筆活動を続けるとともに、1986年より、森の再生活動を実践するため、荒れ果てた里山を購入。
その里山を『アファンの森』と名付け再生活動を始める。
2002年、アファンの森』での活動や調査等をより公益的な活動を全国展開するために、「財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団法人」を設立し、理事長となる。
1995年7月、日本国籍を取得。
2005年、英国エリザベス女王陛下より名誉大英勲章を賜る
1993年~ 国際松濤館空手道連盟顧問
1993年~ (財)屋久島環境文化財団特別顧問
1994年 : 内閣官房「21世紀地球環境懇談会」委員
1995年~ 学校法人東京環境工科学園理事・実習場長
1997年 : 内閣官房「子どもの未来と世界について考える懇談会」委員
2002年 : 内閣府「未来生活懇談会」委員
2003年~ 東京都 エコツーリズム・サポート会議委員
2003年~ 環境省 エコツーリズム推進会議委員
2005年~ 京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授
エイジへの頌徳のことば
C.W.ニコル
とても大切な友だち
昨年6月10日、私の大事な友だち中原エイジが逝った。65歳だった。
多くの読者は黒姫にあるペンション竜の子のオーナーであり、素晴らしいシェフであったエイジのことを忘れないだろう。特に1980年代半ばの 「バブル」時代、そして20世紀が終わるまで、銀行家や金融関係の人々が群れをなして東京にやってきた頃、在日外国人たちの間で竜の子は大人気だった。長 年にわたって、その常連客の90パーセントは外国人だった。広告などしなかったが、彼の料理人としての名声と、すばらしいもてなしは口コミで広がった。ス キーシーズンには竜の子は予約でいっぱいだった。
私はエイジから1年遅れて黒姫に来た。以来25年間彼は私の大親友だった。共通の趣味もいっぱいあったが、そうでないものもあった。私はゴルフ が好きではないし、エイジは武道やカヤックに全く興味がなかった。スキーでは、私はクロスカントリーが好きだし、エイジはスロープを好んだ。でも私たちは 二人ともおいしい料理、ワイン、花、木々、日常使いの道具のシンプルな美しさを愛した。(もちろん時々やる悪ふざけも。)エイジは、野生の花、漆器、陶 器、家具に造詣が深く、私の歴史小説のファンであるというとびきりのセンスの持ち主でもあった。
ペンションの客は夜の9時を過ぎて黒姫駅に降り立つこともあった。それでもやさしいエイジは車で彼らを出迎え、山の上の宿まで連れて帰るのだっ た。それから、時に客と打ち解けた時には、てきぱきとおいしそうな暖かい料理を用意し、まるであくる日が休みのように遅くまで一緒におしゃべりをするの だった。それでも彼と妻とスタッフは、翌朝早く起きて素晴らしい朝食を用意するのだ。またスキーシーズンには彼らは客をスロープまで車で送っていくのだっ た。
眺めのいい夢
エイジの夢は、長野県の山にある、ここアファンの森トラストの所有地に隣接する場所に、会員制の小さいけれど、趣味のいい宿を建てることだっ た。私たちは契約書の草稿を作り、私がトラストに寄付した土地の区画を長期賃貸するという計画は理事会の承認を得ていた。そこは簡単に行けて、景色の素晴 らしい土地だった。
エイジはその宿を建築し経営する準備をすっかり整えていた。一方森では、たきぎ、炭、野生や丸太栽培のきのこーしいたけ、ゴールデン・ウイン ター、ヒラタケなどが採れた。我々はさらに、山菜、山芋、栗、クルミ、山ぶどうなどたくさんの野生の食物を提供できるはずだった。私たちと宿では、いつ、 何を、どのように使ったかを記録し、それは健康な森の豊かさと利用の仕方を理解する手助けとなる貴重なデータになるはずだった。客は、森の中を散歩した り、雪靴で歩いたり、クロスカントリースキーをするときには、ルールを守り、また我々は、クマや巨大なスズメバチの巣がトレイルにあるとわかった時には警 告を発し、客を守るつもりだった。ガイド付きのツアーも計画していた。
いろいろ相談をし、理事会の最終承認もおりた後、エイジはプロジェクトの詳細な計画と設計を始めた。彼は建築家を雇い、陶器や美術品を買入れ始めた。しかし、彼はガンの闘病中だったのだ。私たちみんなは、その夢のために彼が生き続けることを心から願っていた。
数年前のある星のきれいな夜、私は、もう一人の友人であり、日本での著作権代理人だった安井マコトと焚き火のそばでウイスキーを飲んでいた。や がて話題は死についての思いやジョークになっていった。ウイスキーにはどこか暗くケルト的なところがあり、そのために時々そういう話題になるのだ。あなた がウエールズ人かアイルランド人の血が入っているなら、私の言うことがわかってもらえるだろう。
私の遺書には、その時が来たときにどうしてほしいのか具体的に書いてある。私の遺灰は大好きな大きな樫の木のそばに撒き、人々が休めるように石 のベンチを置いてほしい。その石の端の方に刻んでほしい短い詩も遺書に書いてある。それは、静かにすわり、鳥やカエルの声を木々にわたる風の音を、近くの 小川のせせらぎを聞くことについての詩だ。―――その後にカッコに入った短いメッセージが続く・・・(若い女性は特に歓迎)。
その夜、焚き火の光の中で私はマコトに遺書のことを話した。彼は笑って、自分はシンプルな石がいいと言った。―――「ちょうどそこにあるような」と指しながら。マコトには
伝統的な先祖代々の墓がある。でも彼が亡くなったとき、その夜のことを思い出し、彼の追悼のために私たちは小さな自然の川石を森に置いた。
エイジは、私と一緒に森にキノコ狩りに行ったときにマコトの石を訪れていた。そしてエイジが亡くなったとき、彼の妻のタケコが同じような記念碑 がほしいと言った。エイジの家族は、日本海沿いの山口県萩のお寺に家族の墓地を持っており、彼の遺骨はそこに葬られた。しかしエイジが亡くなってから1年 と1週間たった、この6月17日、親族と友人が
集まって、私たちの森に新しい記念碑を作った。
エイジの記念碑も自然の川石で、シンプルなメッセージを英語で刻んだ。世界中の彼の友人たちがみんな読めるように。彼の妻、娘、息子、そして姉 が望んだとおりに。その石のところに行くためには、森の中に木屑をひいた柔らかな小道を静かに7分ほど歩く。朝は美しい山桜の木がそのに日陰をつくってい る。
私たちはその下の斜面の枯れたりかれかけたりしている繁みをきれいに片付けた。そこには木々が育って陰になってしまうまでの数年間は春になると すみれの絨毯が敷きつめられることになる。この静かな斜面に、私たちは数百本の落葉樹を植えた。その多くは、花が咲き、果実をつけ、どんぐりや木の実をつ け、鳥などの野生動物が集まってくることだろう。
幸せでワイルドな時間
帯水層を少し低くして、周辺の木々が深く根を張って、より強くより元気になるように、私たちは小川を作った。そこにはいつもきれいな冷たい水が 流れ、今はホタルの幼虫のエサになる小さな黒い巻貝がいる。近くの池では夏になるとホタルが飛び交う。私はそのホタルたちがこの新しい人工の小川にも来て くれるのを楽しみにしている。
数年前、私の家の近くにある自分のロッジのまわりに、エイジはアメリカハナノキ(カエデ?)とハナミズキを植えた。よく育ったので、私たちはそ れぞれ1本ずつ記念碑のそばに移植し、セイヨウミザクラ、素晴らしいフジのつる、その他の木々や花とともに、そこを澄み渡った美しい場所にした。
そこは陰鬱な墓地ではない。それはすぐに苔で覆われるシンプルな石だ。そこは静かにエイジのことを想う場になる。竜の子でみんなで過ごした楽しい、そして時にワイルドな日々を想う場になるのだ。おい!あのバーベキューやラウンジでやった雪合戦を覚えているか!
エイジの妻のタケコは今も竜の子を運営し、彼のよき友人だったハルミがおいしい料理とワインの伝統を守っている・・・・ワインでなくても、日本 酒でも焼酎でもビールでもウイスキーでも、何でもお好みのものでいいのだ。だから、親愛なる読者や友人の皆さん、帰ってきて、エイジがあれほど愛した森を 見てください。
こういう石は森の中で決して場違いなものではない。トンボや鳥がとまるだろうし、ツグミがカタツムリを砕く台にするかもしれない。地面から突き出た石は土に暖かさをもたらし、木々の成長を促すだろう。それらすべてが自然の風景の一部になり、決して不気味な
場所にはならない。
ところで、私の祖父母と両親は火葬して散骨したので、私はイギリスに行っても、思い出にひたるために訪れる場所がない。それが少しさびしい。こ こにある私たちの森では、私は散歩をして、マコトとエイジにそっと挨拶することができる。時には暖かい石にもたれてすわり、携帯ボトルに入れたウイスキー をすすりながら、過ぎた時と友情を静かに想うこともできる・・・・移りゆく森の風景を静かに楽しみながら。
感傷的だと言うだろうか。そうだ、この年老いたケルト人には感傷的になる権利がある―――どこかのバーの片隅よりこの場所で感傷にひたる方がずっといい。
ジャパンタイムス オンライン
2007年7月4日
OLD NIC’S NOTEBOOK – C.W.ニコル
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